P君のお部屋

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安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/07/30 (Sat) 20:15:12

安本美典氏の平均在位論が正しいかどうか検証してみたいと思います。

私の出した結論は「平均在位論自体は有効、しかし安本氏の計算方法はおかしい」というものです。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/29 (Mon) 18:39:51

橘さん。

>神功皇后以前も調べたいのだが、本は北條先生にあげてしまった。しばらくお待ちください。

橘さんは北條先生とお知り合いですか?

もしそうなら、

・国宝中平銘鉄方の和邇氏の系図からさかのぼったトヨと卑弥呼、
・用明、雄略、応神、仮定の垂仁の各元年から20人後、30人後の平均在位からさかのぼった神武の時代が卑弥呼と一致、
・記紀で海を渡った痕跡のある古代王はスサノオしかおらず、AD107年の倭国王帥升とは名前の似たスサノオではないかと仮定しての、その5世代後の卑弥呼、

それらから卑弥呼はヒメ(踏鞴五十鈴)媛であり、またその住処に径百余歩の塚と奴婢埋葬痕跡を見つけてたと言ってる男がいるがどう思われるのか、機会がある時で結構ですから聞いていただけないでしょうか。

facebookの「東アジアの古代文化を考える会」で、北條先生にこれらを質問したつもりだったのですが、
なぜだか投稿が消えていて、
ひょっとして討論室も出入り禁止になっているからfacebookの投稿も消されるのか、それとも承認されなかったのか分からないですが、私の説に対する北條先生の意見を聞けないのです。
一度でいいから第一線の学者さんに自説をどう思われるのか、聞いてみたいのです。

機会があるときで結構ですから、ぜひよろしくお願いします。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/27 (Sat) 13:00:22

滑安房守さま

>安房守は個別には、何とも言えないのですが・・・・・・
>崩年干支の記述自体は正しかったと、思っております。
>記述するに当たって、その元が文書であれば間違いは少ないのですが、記憶に頼っている部分が残っていたと安房守は見ています。

自分は、記紀編纂前には存在したと言われる「帝紀」「旧辞」には本当の干支が書かれていただろうと考えてます。
しかしそれをそのまま書くわけにはいかない。
安閑以降は記紀の崩御年干支は同じで、継体以前から微妙にそれが違い始めているのは、
倭の五王、特に上表分を送った倭王武を隠すためだと考えてます。
自ら中国の臣下となりたがる屈辱的人物ですから。

それと何度も言ってきたけど、倭国王帥升=スサノオ、
国史とはプライドであり、帥升と倭王武という二人は、
時代を大きくずらしてでも未来永劫隠さなければならない人物だと7世紀の朝廷が考えたのではないかと思ってます。

そして帝紀と旧辞は「散逸した」という理由で事実上の焚書にしたと考えてます。
今でいえば国立国会図書館にあるようなものが散逸するわけないですから。



Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 滑安房守

2022/08/27 (Sat) 08:12:35

p君様

>滑安房守さま、ご無沙汰しておりました。


 こちらこそ、ご無沙汰しておりました。


>たとえば4世紀なら、考古学的に考えられる時代と、古事記の崩御年干支が整合していると思うわけです。

>・崇神=318年崩御 成務=355年崩御 仲哀=362年崩御

>古事記では垂仁や景行の崩御年干支が書かれてません。
>書かれてないという事は、伝承できませんでしたと素直に言ってるようなものですから、
>逆に書かれている崇神、成務、仲哀の崩御年干支は信憑性が高く正しいのではないかと思われます。
>実際、崇神=318年崩御は支持者も多く、ほぼ定説になっている感があります。

>とは言え、それなら古事記での応神の崩御年は394年になります。
>これでもいいのですが、応神の即位は、考古学的にも、日本書紀の即位干支からも、
>また複数の半島の資料との整合性からも、390年で間違いはなく、
>そうなれば応神は4年しか在位期間がないという事になります。

>8世紀前半に8年違いで上梓された記と紀で干支が違うのだから、どちらかが嘘をついているという事になります。
>ただし両方とも嘘をついてるとは考えられない。

>だから
>  A  B  C  D
>記 〇 × × 〇
>紀 × 〇 〇 ×

>こういう事なのではないかと思いつきました。

 お教え有難うございます。
 なるほど、そのように、お考えになったのですね。
 全面的に賛成とは言いきれませんが、あり得ると見ました。


安房守は個別には、何とも言えないのですが・・・・・・
崩年干支の記述自体は正しかったと、思っております。

記述するに当たって、その元が文書であれば間違いは少ないのですが、記憶に頼っている部分が残っていたと安房守は見ています。
当時の人が、年をどの様に記憶していたか、干支でしょうか、それとも、単に十二支でしょうか・・・・・
おそらく、一般人は十二支が好い所だと思っています。(安房守はそうですから・・汗汗)
その十二支の発音はどうであったか、発音した側、聞いた側で、そこでも間違いが生じた可能性は否定できない気がしています。

仁徳天皇の記録上の治世が長過ぎる点なども疑問となります。
安房守は、令和になっても、今年は、昭和で言うと何年になるだろうと、考えてしまう事があります。
昔の人も、長い治世であった仁徳天皇の時代の中を過ごして来た人は、仁徳天皇が崩御された後も、今年は仁徳でいうと何年にあたると記録するケースがあったと思っています。

あ、すみません、自論に突入してしまいました。
有難うございました。
これからも、お教え下さります様にお願い致します。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/26 (Fri) 23:40:25

とは言え、
崩御年という事になれば、やはり空白のある古事記の干支が正しいのかもしれませんね。

ネットで拾って来た図を貼ります。

応神の在位が4年という事だけが気になりますが。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/26 (Fri) 23:22:45

滑安房守さま、ご無沙汰しておりました。

> 鋭い着想だと思います。

ありがとうございます。


> 全てを、今は、説明しきれない状態と思いますが、この部分をこの様に考えたので、その考えを持ったと、お教えいただけますでしょうか?


たとえば4世紀なら、考古学的に考えられる時代と、古事記の崩御年干支が整合していると思うわけです。

・崇神=318年崩御 成務=355年崩御 仲哀=362年崩御

古事記では垂仁や景行の崩御年干支が書かれてません。
書かれてないという事は、伝承できませんでしたと素直に言ってるようなものですから、
逆に書かれている崇神、成務、仲哀の崩御年干支は信憑性が高く正しいのではないかと思われます。
実際、崇神=318年崩御は支持者も多く、ほぼ定説になっている感があります。

とは言え、それなら古事記での応神の崩御年は394年になります。
これでもいいのですが、応神の即位は、考古学的にも、日本書紀の即位干支からも、
また複数の半島の資料との整合性からも、390年で間違いはなく、
そうなれば応神は4年しか在位期間がないという事になります。


8世紀前半に8年違いで上梓された記と紀で干支が違うのだから、どちらかが嘘をついているという事になります。
ただし両方とも嘘をついてるとは考えられない。

だから
  A  B  C  D
記 〇 × × 〇
紀 × 〇 〇 ×

こういう事なのではないかと思いつきました。

日食 - 橘

2022/08/24 (Wed) 20:31:51

日食と没年の関係はない。
これが尤も無難な解みたいですね。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 滑安房守

2022/08/24 (Wed) 09:33:49

橘様

>滑安房守様
>割り込み失礼。
>以前、大論争に書き込みされた文、残ってますよ。
>お好きなときにご覧、保存できます。
>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>過去ログの見かた

>下のほうに入力域が4つあります。
>4つの内、右下の最新ログとあるとこで
>見たいログを選んで 閲覧を押す。
>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 お教え有難うございます。
 有難い事です。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/24 (Wed) 01:24:15

神功皇后から15代応神天皇から33代推古天皇までの古事記、日本書紀の没年と日食が起きた年を比較した。
日食が起きてたのは以下の通り。

古事記    日本書紀
16代仁徳天皇 427年
19代允恭天皇 454年
21代雄略天皇 489年   479年
33代推古天皇 628年   628年

雄略天皇は古事記と日本書紀では没年が異なるので
どちらが正しいとはいえない。
日食が起きた時亡くなるわけではないので他も没年は
不明。実在を意味するのか?
推古天皇を除いて他は倭の五王時代。17代、18代の天皇は架空?架空とすると中国書物の系図に似てくるが20代天皇が架空では合わない。
20代から暦が変わるが関係ないか?皆さんのお知恵を借りたい。

神功皇后以前も調べたいのだが、本は北條先生にあげてしまった。しばらくお待ちください。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/22 (Mon) 21:27:36

滑安房守様
割り込み失礼。
以前、大論争に書き込みされた文、残ってますよ。
お好きなときにご覧、保存できます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
過去ログの見かた

下のほうに入力域が4つあります。
4つの内、右下の最新ログとあるとこで
見たいログを選んで 閲覧を押す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 滑安房守

2022/08/22 (Mon) 09:26:37

p君さん
ご無沙汰しておりました。

>「記」と「紀」はワンセットであり・・・・

>  A  B  C  D
>記 〇 × × 〇
>紀 × 〇 〇 ×

>こんな感じですかね。
>記と紀のどちらかに必ず「真」を入れてるみたいな。
>ただしこれを説明するのは困難を極めるわけです。

 鋭い着想だと思います。
 全てを、今は、説明しきれない状態と思いますが、この部分をこの様に考えたので、その考えを持ったと、お教えいただけますでしょうか?

安房守は9月半ばまで、ゆっくり見る時間は取れませんので、お時間がございました時で十分ですので、お教え下されます様お願い致します。

宜しくお願い致します。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/19 (Fri) 08:26:39

ご参考までに、
中国では後漢の時代に日食の周期として3986.63日が知られてた。これを365日でわると10.92,、、年になる。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - P君

2022/08/19 (Fri) 08:05:45

安本さんの根拠は5世紀から8世紀の延べ20人の天皇の平均在位が10.88年と言いながら、
何天皇即位から何天皇退位までなのか、銘記しておられません。

同じく世界の王の平均在位というのもどこの国の何王なのかも銘記されていません。

この安本説が九州説の理論的支柱のようになっていたわけで、
驚いてしまいます。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/14 (Sun) 09:31:44

難しいですね。何もわからなかった。
何か根拠ありそうですが。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/12 (Fri) 14:02:12

いいご研究されてますね。
これいいかも私も少し調べてみようかな。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/10 (Wed) 13:09:53

自分が最近、考えてることは、「記」と「紀」はワンセットであり、
各天皇の即位年や崩御年が、記が真の場合は紀が偽、記が偽の場合は紀が真のような、
そういう事にしているのではないかと考えています。

たとえばA天皇からD天皇の説明で、

  A  B  C  D
記 〇 × × 〇
紀 × 〇 〇 ×

こんな感じですかね。
記と紀のどちらかに必ず「真」を入れてるみたいな。
ただしこれを説明するのは困難を極めるわけです。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/09 (Tue) 06:35:41

なるほど。ところで引き延ばす元の在位年数を復元する手がかりは
残されてないのでしょうか?

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/08 (Mon) 21:44:47

橘さん

自分は基本的には架空の天皇はいないと思っています。
もし架空の天皇を創作して良いのなら、神武127歳をはじめ、
100歳を超える天皇を連発させる必要がないからです。
50歳、60歳で亡くなる天皇を数十人ほど創作し、中国より古い歴史にすればよいわけですから。

これは帝紀や旧事に書かれてる大王の系譜をいじくることはできなかった。
しかしそのまま書いてしまうと、帥升=スサノオということがばれて土下座から始まる屈辱の日本史になってしまう。
だから大王の系譜はそのままで時代や年齢を大きくずらすしかなかったのではないかと考えてます。
ただし履中天皇以前、兄弟、従兄弟継承は確実にあったのでしょうが、時代を大きくずらすために全員父子継承に変えたとは思いますが。

このあたりのことは「東アジアの古代文化を考える会」の掲示板で石見介さんと議論していた問題です。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/07 (Sun) 07:31:09

大発見なのでは?
崩御年干支あるなし。架空の天皇がいるのかな?

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/06 (Sat) 22:13:53

橘さん

崇神の古事記での崩御年干支が信用できるというのは、
古事記の場合、初代神武から9代開化まで、
そして11代垂仁、12代景行の崩御年干支が書かれていません。
この「書かれていない」というのは、言い換えれば伝承できませんでした、すいませんと正直に述べているということなので、
逆に崇神や成務など書かれている崩御年干支は正しいのではないかと信憑性が高くなります。

日本書紀の場合はなんて何でもかんでも、やっつけ仕事のように書いていて信憑性が下がります。

だから崇神没年「戊寅」318年と考える人が多いです。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - 橘

2022/08/04 (Thu) 04:51:48

何かに基づいてるとか根拠ありそうですが?

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/08/03 (Wed) 19:09:01

10代崇神天皇を、古事記の崩御年干支を信用して318年没とする説が有力である。

考古学的にも崇神陵墓でほぼ間違いないであろう行灯山古墳が布留1式=4世紀初頭から前半になる。



また稲荷山鉄剣銘文のヲワケの臣の7世代前のオホヒコを、当時ありふれた名前であるから四道将軍のオホヒコとは限らないという意見もあるようだが、

ヲワケの臣が鉄剣に刻むほどの祖先自慢をしたかったわけだから、それは一般人の「オホヒコ」ではありえないだろう。



ヲワケの臣が雄略に仕えていた「辛亥年」(西暦471年)から一世代間20年で7世代さかのぼると、上祖オホヒコは4世紀前半である。

また四道将軍ゆかりの会津に展開する一箕古墳群(いっきこふんぐん)は4世紀前半から、

そして吉備津彦の墓の最有力・中山茶臼山古墳が4世紀前半である。



ゆえ、崇神没年318年とし、次代の垂仁を318年即位と仮定してもよかろうと思う。

もし間違えていれば、用明、雄略、応神の平均在位から導かれた神武の時代とかなり食い違ってくるはずである。



・318年即位と仮定・垂仁天皇

垂仁天皇以降、神功皇后を含め20人後は29代欽明天皇で571年まで在位。

平均在位12.65で10人遡った神武即位は191年。



・垂仁天皇以降、神功皇后を含め30人後は40代天武天皇で686年まで在位。

平均在位12.266で10人遡った神武即位は195年。


やはり神武は卑弥呼の時代である。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/07/30 (Sat) 20:46:47

日本書紀の15代応神天皇元年「庚寅(かのえとら)」が390年であることは、百済武寧王陵墓出土の買地券(=金石文)から
武寧王462年 - 523年(在位:502年 - 523年)が決定し、
日本書紀の応神3年条に出てくる百済阿花王擁立が『東国通鑑』『三国史記・百済本紀』では392年、
また日本書紀応神8年条文註に百済国の王子直支の来日 があり、
『東国通鑑』『百済本紀』は、直支王(405-420)を人質として遣わした年代を397年と記してある事、
また、日本書紀応神16年条に「是歳百済阿花王薨」とあるが、『百済本紀』の伝える阿花王の崩年は405年である事、
などから逆算して求められる 応神元年は390年である事、
また誉田御廟山古墳外堤の須恵器の編年が5世紀前後であることなどから、もはや疑うべきでもないと思われる。

時代を古く引き伸ばす意図で書かれた日本書紀では「庚寅」は270年になるが、
これはお母さんの神功皇后を卑弥呼に宛がうために干支を2運120年ずらしたのであろう。
そして日本書紀の神功皇后紀に魏志の卑弥呼の記事を挿入し、卑弥呼=神功皇后であることを印象付けている。

7世紀後半の朝廷は本当の卑弥呼が誰なのかを知っていたのであろう。

では応神天皇元年390年で20人後、30人後の平均在位を採ってみる。

① 15代応神390年即位、20人後は34代舒明天皇で641年まで在位
641-390=251  251÷20=12.55
応神以降20人の平均在位は12.55年。

② 15代応神390年即位、30人後は45代聖武天皇で749年まで在位
749-390=359 359÷30=11.966
応神以降30人の平均在位は11.966年。

①の12.55年で神功皇后を含め15代さかのぼり神武の即位年を計算する。
12.55×15=188.25 小数点切り捨てで188
応神元年390-188=202

神武の即位は202年。

②の11.966年で神功皇后を含め15代さかのぼり神武の即位年を計算する。
11.966×15=179.49 小数点切り捨てで179
応神元年390-179=211

神武即位は211年。

やはり神武と卑弥呼は同時代である。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/07/30 (Sat) 20:37:30

墓誌が発見された百済・武寧王の生年462年が雄略5年になるので、遡って判明する雄略元年はAD457年である。
ゆえ雄略元年457年で計算してみる。



① 雄略457年即位とし、20人後は重祚一人も計算すると41代持統天皇で697年まで在位。
697-457=240  240÷20=12
雄略から20人後の平均在位はちょうど12年。

12で神功皇后を含めて21人遡り、神武のおおよその即位年を推測する。
12×21=252、 雄略即位457-252=205

神武即位は205年。

② 雄略457年即位とし、重祚が二人いるので30人後は52代嵯峨天皇で823年まで在位。
823-457=366  366÷30=12.2
雄略から30人後の平均在位は12.2年。

12.2で神功皇后を含めて21人遡り、神武のおおよその即位年を推測する。
12.2×21=256.2、
小数点を切り捨て256年として、
 457-256.=201

神武即位は201年。


雄略天皇元年457年から20人後、30人後の平均在位から計算しても神武は卑弥呼の時代である。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/07/30 (Sat) 20:23:05

まず安本氏が言われるように、実在確かな31代用明天皇を基点に以後20人の平均在位を計算してみるが、
20人というのは平均を採るには少し少ないような気がするので、
念のために30人の平均在位も計算してみる。
重祚もあるのでややこしいが頑張って計算してみる。

① 31代用明天皇即位は585年、用明を含めて20人後は52代嵯峨天皇で823年まで在位。
823-585=238  238を20人で割ると11.9年。

② 用明天皇を含めて30人後は62代村上天皇で967年まで在位。
967-585=382  382を30人で割ると12.7333・・・。

①の平均在位11.9年で用明天皇から神功皇后を含めて31人前の神武の即位年を計算してみる。
11.9×31=368.9  四捨五入で369年として31代用明即位=30代敏達崩御の585年から引いてみる。
585-369=216年。

神武即位はおおよそ216年。

②の12.73で用明天皇から神功皇后を含めて31人前の神武の即位年を計算してみる。
12.73×31=394.63
395として585-395=190年。

神武即位はおおよそ190年。

実在確かな用明天皇から神功皇后を含めて神武まで計算すると、神武は卑弥呼の時代である。

Re: 安本美典氏の平均在位論の検証 - p君

2022/07/30 (Sat) 20:20:24

安本美典氏の平均在位論が正しいかどうか検証してみる。

安本氏は5世紀から8世紀の延べ20人の天皇の平均在位が10.88年、
古くなれば在位が短くなることから10年として、それを実在確かな用明天皇以前に当てはめ、
神武を3世紀後半とし、3世紀初頭の卑弥呼をアマテラスとする。

まずこの前提自体がおかしい。
5世紀の天皇とは、どうやら478年の倭王武の上表分を雄略天皇として計算しておられるようだ。
倭王武が雄略であることは有力なので異論はないが、ならば一応478年を基点にして一代10年で計算すればいいのに、
何故か6世紀後半の用明天皇以前にその10年を当てはめている。
つまり雄略と用明という二つの基点があるわけで、恣意的な手法である。

また10.88年から古くなれば在位が短くなるという理由で0.88年を削り10年にしているのも恣意的。
平均というのは長くもなり短くもなるから平均なのであり、
古くなれば在位が短くなるという事であれば、10.88年で出てきた数字に例えば「+30年-10年」あたりにすれば神武の時代も分かりそうなのに、
安本氏はそうはしていない。

そういうわけでこのスレッドで神武の時代を正確に計算し直してみる。

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