P君のお部屋

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書込み成功 - p君

2022/07/23 (Sat) 21:53:41

橘さんには、私の部屋まで作っていただき、ありがとうございます。

東アジアの古代文化を考える会の掲示板からこちらに引っ越しさせていきたいと思います。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/12/19 (Mon) 20:48:47

橘さん、ありがとうございます。
冷静に考えたら、原田氏の発見は馬鹿々々しいにもほどがあると思います。
糸島に天照大御神がおり、自分がその墓の発見者である。
そして46.5㎝の大鏡がその証拠であるというわけですから。
普通の人ならまず疑うという事になろうかと思われますが、考古学者を含め、だれも疑わない。
なんだかむなしくなってきます。

FB - 橘

2022/12/10 (Sat) 20:26:33

いいね 79。コメント220件。
すごいですね。

原田大六氏の捏造 - p君

2022/12/06 (Tue) 18:36:52

13世紀の文永樋代は具体的な形が判明しており、内径が23㎝ですね。
安本美典さんのHPからです。
伊勢神宮の御神体の八咫鏡がまったく別の鏡に入れ変わったとは考えられず、
元々、八咫鏡が20cmくらいの大きさであった事をこれらは示していると思います。
原田氏は13世紀の「内宮遷宮沙汰文」の文永樋代が内径23cmである事、
19世紀の「書紀通釈」樋代内黄金箱が内径27.3㎝であることを知らなかった。
つまり原田氏が発掘したという平原の直径46.5㎝という大きな鏡は、
皇太神宮儀式帳や延喜式に「一尺六寸三分」と書かれてる事のみを信用し、
原田氏がそれに合わせて作ったことが分かります。
これは平原発掘の巨大鏡が、原田氏による捏造である事の動かぬ証拠だと思われます。

原田氏の捏造 - p君

2022/12/05 (Mon) 22:38:46

https://www.facebook.com/.../a.61877.../1598980663598994/...
延暦23(804)年に記された『皇太神宮儀式帳』には「八咫鏡」を納める容器についての記録があります。それには「御樋代(おひしろ)」と呼ばれる八咫鏡を入れる容器の内径が「一尺六寸三分」とあり、約49㎝であることがわかります。これから八咫鏡の直径は46㎝前後であると考えられるということです。
このようにみてみると原田氏の国宝「内行花文鏡」は八咫鏡と同じものであるという説もあながち否定できないのではないでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つまり原田氏はこの『皇太神宮儀式帳』の「御樋代(おひしろ)」の内径が「一尺六寸三分」という記述から鏡を捏造したことがわかります。
矢が刺さった場所に後から的を描くようなものです。
原田氏は後世の内径20㎝代の記述を知らなかったようです。
大きな箱に小さな鏡は入っても、内径20㎝代の小さな箱に原田氏の発見した46㎝の鏡は入りません。
つまり捏造という事です。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/12/05 (Mon) 22:07:04

伊勢神宮のご神体・八咫鏡を入れる「樋代(ひしろ)」の大きさが時代によって大きく違いますが、ご神体が入れ替わっていない以上、後世の方が正確ということになります。

皇太神宮儀式帳や延喜式の内径が「一尺六寸三分」という記述kから49.4㎝となっているのででしょう。

つまり本物の八咫鏡は20㎝代であって、原田氏の発掘した鏡は伊勢神宮の八咫鏡の大きさではないということになります。

これは捏造の大きな証拠になるのではないでしょうか。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/12/05 (Mon) 21:59:35

一般に「八咫(やた)」は「八十萬神」「八尋大熊鰐」「八咫烏」等と同様、単に大きい・多いという形容であり具体的な数値ではない、とされているが、咫(あた)を円周の単位と考えて径1尺の円の円周を4咫(0.8尺×4)として「八咫鏡は直径2尺(46センチメートル (cm) 前後)、円周約147cmの円鏡を意味する」という説も存在する。
後漢の学者・許慎の『説文解字』には、
咫、中婦人手長八寸謂之咫、周尺也 (咫、ふつうの婦人の手の長さ八寸で、これを咫という、周尺なり)とあり、戦国〜後漢初期の尺では一寸2.31cm×8寸×8咫=約147cmとなる。
平原遺跡出土の「大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)」は直径46.5cm、円周は46.5×3.14 = 146.01cmであり、弥生時代後期から晩期にこのサイズの鏡が存在したことは確かとなった(考古遺物の節を参照)が、現存する桶代(御神体の入れ物)の大きさから推察される神器の鏡はもっと小さい。(wiki)
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平原出土の鏡が本物であり、伊勢神宮にある八咫鏡と同サイズというなら、崇神天皇の娘・豊鍬入姫命や垂仁天皇の娘・倭姫命がこんな大きな鏡を持ち、大和から丹波、和歌山、吉備など、いわゆる「元伊勢」を巡歴したのでしょうか。
そんな痕跡はどこにもありません。
痕跡とは鏡の大きさはこれくらいであろうという共有認識というか概念、それらが元伊勢各地に全然ありません。
もし本当に直径46.5cmの鏡が「元伊勢」を巡歴したのなら、それら各地に鏡は巨大な物であるという共通した認識・概念が生まれ、それに準じて巨大鏡も作られたであろうし、しかしながらそんなものは元伊勢のどこにもないのです。
元伊勢の大元・檜原神社の近くにある崇神や垂仁と同時代の黒塚古墳から見つかった鏡も、元伊勢の籠(この)神社にある2面の鏡も、極めて小さなものです。
今日、全国各地にある神社の本殿で祀られている鏡の大きさは1尺です。
この大きさこそが、伊勢神宮にある本物の八咫鏡、つまり元伊勢に一時的にも存在した本物の鏡と同サイズではないのでしょうか。
平原出土の直径46.5cmの鏡は元研磨工・原田氏による捏造でしょう。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/12/03 (Sat) 08:06:40

蛯原さんがまた素晴らしい投稿をしてくれました。


平原の報告書は平成3年に刊行された『平原弥生古墳 上巻・下巻』調査者である故原田大六氏の調査記録を基に編集委員会がとりまとめたものと、もう一つは昭和63年から平成11年にかけて前原市教育委員会が実施した指定地内外の確認調査の報告書である『平原遺跡(前原市文化財調査報告書第70集)』 で2000年に前原市教育委員会が刊行しているものです。後者では昭和40年の調査報告である前者の補足も掲載されています。
この両者の記述が、現在の所(というか最終的な)寄るべき基本資料ということになりますが、事実関係の記載がかなり少ないようですね。前者は本文編393頁、図版編255頁の大冊(B4版)だが、遺構や遺物の出土状況の記述は13頁程度で地図や遺物表を除けば8頁弱(縦書き56字×25行)に過ぎないんです。
ちなみに、補足を執筆した柳田康雄氏についてはピットを発見した2月18日から2月24日までは名前は補助員として記述されておらず、名前が見えるのは2月25日からで、調査日誌に「國學院大柳田康男君来訪し調査に参加することになる。」となっています。第三者の調査や事実関係が不足しているのではないかと。本当に適切な報告が綴られたのでしょうか?

原田大六氏への疑義 - p君

2022/12/01 (Thu) 20:10:29

伊勢神宮にある八咫鏡(やたのかがみ)は『古事記』では、八尺鏡(やたかがみ)、
原田氏は平原から円周が46.5×3.14 = 146.01cmの鏡を発見した、と主張する。
八咫鏡の形代は公開されてないので、本物の大きさをここで論じても仕方がない。

ならば、原田流解釈によれば、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)はどうなのでしょう。
8尺なので約180㎝、仮に8咫としても約140cm、
そんな巨大な勾玉ではないことは、4年前にも判明してますね、こちらは本物ですね。(画像)

原田氏はとんでもないことをしたのではないでしょうか。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/11/26 (Sat) 22:30:13

FBでお友達になった蛯原さんの素晴らしい書込みを紹介します。

陶氏が道教の一派を成すのは陶 弘景(とう こうけい、孝建3年4月30日(456年6月18日) - 大同2年3月12日(536年4月18日))の時代で、3世紀に陶氏作の鏡が存在するのには矛盾があります。また、超大型内行花文鏡の鈕の八葉は、本来は花弁なんです。
内行花文鏡などの連弧文と鈕の四葉文(花弁文、睡蓮)の関係は三世紀の曹植(192年〜232年 中国後漢末期から三国時代にかけての人物)の芙蓉賦に、
『其始発也 轍若夜光尋扶桑 其揚曙也 晃若九陽出場谷』
〜その始めて花を開くや、その明るいこと月が扶桑の方に向つて動いているごとくであり、その輝きを発するや、明るく光ること九つの太陽が谷から出てくるごとくである。〜とあります。
*ハスの華は天の中心 (太一=天帝)を象徴したものであり、光り輝くことを表現しています。
また、天は大地の四方の果てにある柱によって支えられ、逆に大地は天に結ばれた4本の維(い=太い綱)によってぶらさげられていると考えられていて、四つの花弁と四方を表す維がないと駄目なんです。つまり八葉は存在しない紋様なんです。あのように大型の鏡を作る理由も不明であり、簡略化された意匠も大型の鏡の意匠としては余りにも単純すぎます。
答えが先にある問題のような、不自然さがあるんです。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/11/26 (Sat) 19:07:32

>父親の反対を押しきって、歴史学者になる、と上京される。勤められたのが津上製作所で、仕事が精密機械の研磨や、図面をひくゲージラッピング工だったのです。


全く意味が分からない、歴史学者になると言って、なんで研磨やラッピング工を勧められたのだろう。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/11/23 (Wed) 18:18:58

https://mirror-polish.com/service/polishing/lapping/



ラップ研磨・ラッピング研磨とは
ラップ盤と呼ばれる平坦な円盤状の台に、製品を載せて液体上の研磨剤を流し込み、上下から圧力をかけて研磨していく加工方法のことを指します。

求められる精度や仕上がりによって、湿式ラッピング・乾式ラッピングなどが使い分けられます。

Re: 書込み成功 - p君

2022/11/23 (Wed) 18:12:16

facebookのお友達から教えてもらいました。

https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/066/01.html

深野

大六先生はお名前通りに大正6年生まれですね。測量士をされていたお父さんが古代史に興味をおもちで、大六少年を近所の古墳へよく連れて行っておられたそうです。原田さんはたいへんな文才ですが、中学生時代から作文がずば抜けていたそうですね。「栴檀は双葉より芳し」で、先生が「これが盗作でなければ君は天才だ」と言われたとか。考古学に目覚めたのは旧制の糸島中学(現・糸島高校)時代で、安河内隆先生の指導を受けて、あちこちの遺跡を発掘し、収集品を整理して学校で展示されていました。その熱心さに校長先生が感心して、一室を提供された。それが今も母校に残っている「郷土博物館」の前身なのです。後に高校では稀有の、博物館法で定められた博物館として認められることになったのです。

春田

製図のほうでも光って…。

深野

大学は家の事情で断念しなければならない。でも東京で勉強したい。父親の反対を押しきって、歴史学者になる、と上京される。勤められたのが津上製作所で、仕事が精密機械の研磨や、図面をひくゲージラッピング工だったのです。少年時代に芽生えた古代史への興味と、お父さんから手ほどきを受けた計測法、職場の図面作りなどの技術が、後年の勉強と結びついて原田大六独自の研究法に発展したのでしょうね。

春田

原田さんは自学自習の人ですが、あらゆるチャンスからしっかり学び取ったという点でも、たいへんな努力家だったことがわかりますね。出土品の模写や図面作成も、丹念な筆で驚きます。製図屋さんよりも生き生きと、そして緻密なんですね。

深野

そして、サラリーマン生活2年で、昭和13年から兵役です。兵営でも勉強を続けた原田さんの本は、「原田文庫」といわれて、古参兵も手を出さなかったそうです。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/11/19 (Sat) 07:58:12

全体像がようやくわかってきました。
やはりこの平原出土鏡は捏造と言わなければなりません。
根拠ですが、平原出土4号鏡(画像)や6号鏡に見られる色は「顔料の塗布」ではないという事ですから、
日本人であろうが中国人であろうが、古代には顔料の塗布
以外に彩色の方法を知らなかったわけで、
ならば久住先生が言われるように、銅イオン変化と考えられます。
しかしこれは銘文のある黒い列の内側にだけみられることから人為的な変化でしょう。

久住先生の紹介してくれたサイトに面白いことが書かれています。
file:///C:/Users/owner/Downloads/15_6%20(3).pdf
6. 仕 上加工 と表面処理
金属は鋳造後の鋳凌(いざ らい),研摩の度合な どの仕上げの方向に よってそれぞれ異なった色沢に なるものである.
仕 上げ加工 を大別して タタキ仕上げ とムキ仕上げ とに分 ける.
(1)タタキ仕上げ-銅 像,彫 刻な ど の よ うに,ま ず原型に忠実 に鋳 上げ,湯 口,湯 道,
バ リな どの不要の個所を切除 し,ナ ラシ鏨(のみ)で 鋳肌をな らし,し めて,
総 体を鋳放 しの状態に仕上げす る事である.
(2)ムキ仕上げ-工 芸 品,器 物な どに よく行な う仕上げ方法で,鋳 肌 を,
ヤ ス リ,キ サゲな どの工 具で一皮 ムキ落 し,平 滑 な面に して
ト石 ・朴(ほ う)炭な どで研摩す る.この2方 法 の仕上 り方に よっても,ま た,
そ の度合に よっても,ま った く,あ るいは微妙 な色沢の変化 を表わ して くる ものであ る.
す なわち金属はあ らか じめ,受 けた取扱 いにしたがいその後,同 一 の着色剤に対 してもそ
の着色は一様ではない.
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つまり研磨によるものということですね。
古代にもこのような研磨技術があり色を出せてたと言われるかもしれませんが、柳田先生によれば中国にはそのような鏡はないということですね。

そして何より原田氏は「研磨工」でした。
こんな研磨による色だしは得意中の得意という事になります。
つまり着色したのは原田氏自身という事になります。

談話室 - 橘

2022/11/16 (Wed) 21:01:00

上のホームを選んで、一番下 6 に談話室あります。

原田大六氏への疑義 - p君

2022/11/16 (Wed) 11:45:00

古い資料なので消えてしまうかもしれませんので、書きこんでおきます。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ZhDdeCpT4-gJ:www.jssscp.org/files/backnumbers/AandS70_4.pdf&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
”前原市報告書のなかで,柳田康雄は詳細な観察結果をもとに注目すべき論考を書いている(柳田:2000)。
その結論は,従来から倣製鏡と見なされている鏡(たとえば表1の岡村編年の欄にある内行花文鏡6面)のほかに,
方格規矩四神鏡のほとんどすべてが倣製鏡で,舶載鏡は16号「口宜子孫」銘内行花文鏡と17号魑龍文鏡だけ,というものである。
その根拠として,柳田は,中国鏡に見られない銘文・紋様や製作時の細かい痕跡が多くの方格規矩四神鏡に見られることを述べている。
なかでも,最も有力な痕跡は鏡面の一部分に「意図的に施された薄緑色の着色」だという。
薄緑色の「着色」は奈良文化財研究所の分析によると顔料の塗布によるものではないもようだが,
倣製鏡とされる「大宜子孫」銘内行花文鏡に明らかに存在し,多くの方格規矩四神鏡にも観察されるので,後者の鏡群も倣製鏡だろうという論理である。
柳田は中国鏡に無い要素を倣製鏡の根拠としていくつも挙げているが,この論法は,「まったく無い」ことを証明するのが不可能なため,100%の説得力はない。
しかし,中国鏡にほとんどみられない(柳田は無いと言っている)薄緑色の「着色」が,同じ遺跡から出土した複数の鏡特に確実な倣製鏡に存在するならば,それらが同じ工房で作られたとする主張は納得できる。
薄緑色は,顔料塗布でなければ,表層にCu(n)の化合物ができているためと考えられるが,それらが意図的によるとするにはいくつかの疑問が残る3)。しかし,他の証拠がいくつも挙げられているので,柳田説を前提にして考察を進める価値はあるように思われる。”
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柳田先生は、「意図的に施された薄緑色の着色」」と認めておられます

Re: 書込み成功 - p君

2022/11/16 (Wed) 11:42:41

橘さん、談話室が見れないのですが。
まぁこの書き込み自体が談話みたいなものですが(笑)

割り込み失礼 - 橘

2022/11/15 (Tue) 09:15:02

この1つ上のところに、談話室作りました。
よろしかったらお使いください。

【平原1号墳墓発掘者・原田大六氏への疑義】 - p君

2022/11/12 (Sat) 22:00:55

【平原1号墳墓発掘者・原田大六氏への疑義】

「東アジアの古代文化を考える会」の談話室で久住先生に叱られつつも、私の疑念が晴れないので、この話題を続けます。
伊都国歴史博物館が、公式に原田氏発掘の鏡22面の緑色や黄色を「着色」と認めておられます。
1800年前の古代人が鏡に緑色や黄色を「着色」できたはずはありません。
朱やベンガラの赤色ならともかく、当時に1800年間もはっきりと金属に付着し続ける緑や黄色の顔料も技法もないはずです。
ならば着色したのは原田氏という事になりませんでしょうか。
動機は鏡を古く見せるため、緑色を緑青に見せようとしたのではないでしょうか。
つまり国宝になっている原田氏発見の鏡は「捏造」ということになり、これは旧石器捏造事件を超える大事件になるかもしれません。

平原遺跡発掘者・原田大六氏への疑義 - p君

2022/11/10 (Thu) 07:54:25

伊都国歴史博物館
2020年6月23日 ·
【 伊都博の展示品紹介④ 着色された銅鏡 】
伊都国王墓である平原王墓から出土した銅鏡群の特徴として、鏡背(文様のある面)を着色した鏡が多いことがあげられます。出土した40面の銅鏡のうち、実に半数以上の22面に着色が確認されています。
展示されている実物をよくみてみると、薄緑色や黄色が確認でき、鏡の縁や銘の部分、鈕などには着色が施されておらず、意図的な塗り分けが行われていることがわかります。
どのようにしてこのような着色がなされたのでしょうのか。その手法は今のところわかっていませんが、色のついた顔料などを直接塗布しての着色とは考えにくく、何らかの化学的な処理により変色させている可能性が考えられます。
元々はとってもカラフルな鏡だったのでしょうね。
写真は、着色されていることがよくわかる平原王墓出土の方格規矩四神鏡(6号鏡・国宝)です。鏡の外側と内側で色が違っているのがわかりますでしょうか。
本資料(平原遺跡出土鏡)は当館3階の常設展示室でご覧になれます。ぜひ実物の色の違いを当館で確認してみてくださいね。(つづく)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊都国歴史博物館が公式に「着色」と認めています。
大変面白くなってきました。

facebook - p君

2022/11/05 (Sat) 19:12:44

ここのところ、少しfacebookに書き込んでましたが、やはりと言いましょうか、facebookにも日ユ同祖論者が数多くおられ、日ユ同祖論というのは大変面白いのですけれど、かなり前からDNAにより否定されてるのにもかかわらず、まだ日ユ同祖論をあきらめない人たちが多くいます。

あと倍歴論者ですね。
これも推古天皇以前を倍歴だとしたら神武が紀元前になり、科学的に判明している当時の平均寿命から大きく逸脱すると言っても全く聞く耳を持たない人がいます。
それが某国立大学の名誉教授というから驚いてしまいます。

昨今、統一教会が話題になってますが、これらの人たちもなにやら新興宗教の頑迷な信者のようです。
かといって現役の考古学の最前線にいるような人たちは、そもそも記紀を資料として扱わない、もちろん先代旧事本紀もそうですし、神社伝承などもってのほか、という感じです。
記紀と考古学の整合性、あるいは神話との整合性も、私はかなり「ある」と思うのですが、金石文でも出ない限り一切認めないという感じです。

素人の私が偉そうに言うわけではないですが、日本の古代史の世界、はたしてこれでいいのだろうか、などと思ってしまいます。

Re: 書込み成功 - p君

2022/11/03 (Thu) 19:44:48

橘さん、お心遣いありがとうございます。
ただ私は大阪ですし、日曜も働いている人間なので、無理です。
だいたい「東アジアの古代文化を考える会」の会員ではないですし。
騎馬民族説がベースになっている会のようですが、私は騎馬民族説否定派ですし、会に入会するつもりもありませんしね。
掲示板だけお借りしておりました。

Re: 書込み成功 - 橘

2022/11/01 (Tue) 23:33:40

P君さんは、中京おすまいかな?
11月19日(土)日比谷図書館文化館 B1で50年記念がある。
夜パーティがある。会長さんもでられると思う。
名刺交換されたら。

Re:平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/17 (Mon) 23:09:05

p君さん

>一部分にだけ緑青のような緑色が付くような変な鏡は普通は出ません。

 そうですか、安房守は知識が不足しておりますので、判りません。


>普通は遺跡から出ないようなものが、なぜか平原では出ている時点でおかしいわけで、おかしいならおかしいと声を上げるべきです。

 上にも書きましたが、安房守には判りかねる事です。
 「おかしいならおかしいと声を上げるべきです。」とp君さんが、p君さんのお考えでそう思うのですから、安房守は何とも申し上げられません。


>>国宝として、しかるべき人達が、相応しいものと認定したのです。


>昭和6年に国宝になった志賀島の金印も、おかしいです。

 そのようなお話があることは知っています。
 そうお考えになるのは、p君さんが、そうお考えになるのです。
 安房守にはわかりません。

 
>最近、千葉大学の三浦さんが捏造であるとの本を書かれましたが、それ以前にも、宮崎市定のような人物も、あの金印には懐疑的でした。
>私もあれは捏造だと思ってます。

 そうお考えになるのは、p君さんご自身です。
 p君さんがそうお考えになったのですから、安房守は何とも申し上げられません。


>しかるべき人達が、相応しいものと認定したからそれでいいのではなく、変なものは変だと声を上げるべきです。

>おかしいと声をあげなかったから旧石器捏造事件を引き起こしてしまいました。

 そうお考えになるのは、p君さんご自身です。
 安房守には、安房守の見方、考え方があります。
 安房守と、そうお考えになったp君さんとは、見方、考え方が違います。

 ゴッドハンド氏の例があるからといって、全てがおかしかった訳ではありません。
 p君さんがそうお考えになるのですから、p君さんご自身のお考えに対して安房守は何も申し上げられません。

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/17 (Mon) 19:00:11

一部分にだけ緑青のような緑色が付くような変な鏡は普通は出ません。
普通は遺跡から出ないようなものが、なぜか平原では出ている時点でおかしいわけで、おかしいならおかしいと声を上げるべきです。

>国宝として、しかるべき人達が、相応しいものと認定したのです。


昭和6年に国宝になった志賀島の金印も、おかしいです。
最近、千葉大学の三浦さんが捏造であるとの本を書かれましたが、それ以前にも、宮崎市定のような人物も、あの金印には懐疑的でした。
私もあれは捏造だと思ってます。

しかるべき人達が、相応しいものと認定したからそれでいいのではなく、変なものは変だと声を上げるべきです。

おかしいと声をあげなかったから旧石器捏造事件を引き起こしてしまいました。

Re: 平原遺跡への疑 - 滑安房守

2022/10/17 (Mon) 15:43:56

p君さん

>どちらにしても緑の部分と黒い部分の差がはっきりしています。
>通常このような事はあり得ません。
>なぜ緑色なのかは分かりませんし、調べていないようですが、1800年前から土中にあったとは思えない状況です。

 「調べていないようですが」と仰っているとおり、調べたのか、調べていないのか、判らないと、p君さんは見ていらっしゃる。


>この書き込みの下にある三雲南小路遺跡の鏡と比べて見てください。

 安房守には比較対象として、相応しいかどうか判りませんので、安房守は、判りません。


>私は原田氏の捏造であろうと思っています。

 p君さんが、p君さんのお考えでそう思われる事に安房守はなんとも言いようがありません。

 安房守は限りなく、その可能性は低いと考えます。
 国宝として、しかるべき人達が、相応しいものと認定したのです。
 安房守は、安房守の見方、考え方がありますから、安房守が納得し得る十分な根拠がない限り、しかるべき人達の判断を最大限に尊重します。

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/17 (Mon) 12:14:10

>安房守が捏造するなら、「緑青ではない何かの塗料」を使わずに、「緑青が主成分となる様な薬剤ないし、何らかの塗料」を使うと思います。

私もそうします。

>原田氏が時代感を与えるために、「緑青ではない何かの塗料」を塗ったとは考え難い気がします。
すぐに、露見するような事をするほど、原田氏の知識が無かったとは言い難いように思えます。


どちらにしても緑の部分と黒い部分の差がはっきりしています。
通常このような事はあり得ません。
なぜ緑色なのかは分かりませんし、調べていないようですが、1800年前から土中にあったとは思えない状況です。
この書き込みの下にある三雲南小路遺跡の鏡と比べて見てください。

私は原田氏の捏造であろうと思っています。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/16 (Sun) 10:54:31

p君さん

>これも1800年間、土中にあったと?

>私は信じられません。

http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru15-271.jpg

 きれいですね。


>緑青であるのなら、薬品である程度は落とせたはずです。
>しかし落ちていない。
>また緑青であるならば、なぜ一部分にしか付いていないのか。

>1800年間も土の中にあったのなら、
>以前に紹介した三雲遺跡の鏡のように、
>鏡全体に緑青がついているはず。

>これはやはり緑青ではない何かの塗料であろうし、
>そうであった時点で捏造が確定でしょう。

 この二件から、仰りたいことは、次の様な事でしょうか?

 緑青を何らかの薬品で落とした状態のものが、
 http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru15-271.jpg
 同様に薬品で緑青を落とした銅鏡に、「緑青ではない何かの塗料」を塗って時代感を出したものが、
 http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru17-165.jpg
 それを、出土品と間違える様に埋めたということでしょうか?。

安房守が捏造するなら、「緑青ではない何かの塗料」を使わずに、「緑青が主成分となる様な薬剤ないし、何らかの塗料」を使うと思います。
原田氏が時代感を与えるために、「緑青ではない何かの塗料」を塗ったとは考え難い気がします。
すぐに、露見するような事をするほど、原田氏の知識が無かったとは言い難いように思えます。

そして、一方はきれいな状態のまま(http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru15-271.jpg)にしておいたのでしょうか?
そのような、出土品同士で、矛盾するような状態を、作り出すことも考え難い気がします。

直ぐに気付かれるような「ミス」を原田氏がするとは思えません。
喧嘩原田と言われていたようですから、自分が攻撃の対象に立たされるようなことには、非常な注意を払っていたとも考えます。

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/15 (Sat) 19:53:32

これも1800年間、土中にあったと?

私は信じられません。


http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru15-271.jpg

Re::平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/15 (Sat) 19:46:21

緑青であるのなら、薬品である程度は落とせたはずです。
しかし落ちていない。
また緑青であるならば、なぜ一部分にしか付いていないのか。

1800年間も土の中にあったのなら、
以前に紹介した三雲遺跡の鏡のように、
鏡全体に緑青がついているはず。

これはやはり緑青ではない何かの塗料であろうし、
そうであった時点で捏造が確定でしょう。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/15 (Sat) 18:21:56

発表されている事が、事実かどうか、疑念を持って、見直すことは大切です。

考古学に関しては、一つの事柄に対して、多数の考えが存在することが多いと、安房守は思います。
何を正しいと見做し、何処に誤りがあると示せるかが、大事な所だと思います。


面白い記事を見出しました。
FaceBookに投稿しましたが、投稿の仕方が悪いのか、ルール違反で削除されたのか、判りませんが、見出せなくなっています。

ここに、ご紹介しておきます。

「STAP細胞」発表後の絶賛からファクトチェックの経緯まで…当時の研究者たちの反応を病理学博士が振り返る

https://togetter.com/li/1958327

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/15 (Sat) 11:39:52

「おもしろきこともなき世を面白く」

とばかりに、某大手週刊誌に、この平原1号墳墓出土品が偽物ではないかという話をリークしました。

取り上げてくれたら面白いです。
まぁ無理かな。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/14 (Fri) 22:35:57

p君さん

>緑青であるかどうかは簡単に判別できると思います。
>「そうではない」わけで、ならばこの緑色は何だということで着色ということになるのでしょう。

 緑色となっている所からサンプルを採取して分析すれば、判るケースが多いと、安房守は考えます。
 国宝からサンプルを削り取って、サンプルとするのは簡単な話ではないと思います。
 サンプルを採って、分析する合理的理由を、しかるべき機関に示し、認めて貰う必要があります。

 既に、分析済みである可能性もあると思います。


>着色なら塗料の成分を分析すれば簡単に決着すると思います。

 仰るとおりであると、安房守も考えます。


>また緑青というなら、錆びてない部分があまりに綺麗すぎます。
>またなぜ錆びてる部分と、全く錆びてない部分があるのでしょう.

 なぜ、そうなのかは、安房守には合理的な理由は示せません。
 何度も申し上げておりますが、そう言ったことを含めて、ゴッドハンド氏の事件を踏まえた上で国宝と認めるに相応しいと、それなりの知識、経験をお持ちの方が判断したので、間違えは無いと考えます。


>私の言い分が間違えていてもかまいません。

 安房守は、そのことを、何ともお答えしようが有りません。
 p君さんが、p君さんのお考えを示されていることです。


>国宝になったから疑いを持ってはいけないなんてありえないわけで、私は志賀島の金印も真っ赤な偽物だと思っております。

 どのようにお考えになるかは、p君さん自身がお決めになった事です。

 安房守は安房守の見方、考え方ですから、肯定できるケースと、判断できないケース、肯定をすることが出来ないケースがあります。
 否定仕切れるだけの根拠を安房守が示すことができることは滅多にありません。

 「思っております」と、その思っている事は、p君さんが思われた事ですから、安房守は、p君さんが思ったという事自体に対して何とも申し上げる事は出来ません。
 安房守は、「志賀島の金印も真っ赤な偽物だと思っております」は肯定できません。

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/14 (Fri) 08:09:45

 >このサイトを作られた方は、着色であると判断をされているようです。
  着色であると判断した根拠を何も示していません。
  客観的な事実によって着色と判断出来たことを示すべきであり、安房守は信用し難いと見ざるを得ません。


http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru17-165.jpg
緑青であるかどうかは簡単に判別できると思います。
「そうではない」わけで、ならばこの緑色は何だということで着色ということになるのでしょう。

着色なら塗料の成分を分析すれば簡単に決着すると思います。
また緑青というなら、錆びてない部分があまりに綺麗すぎます。
またなぜ錆びてる部分と、全く錆びてない部分があるのでしょう.
私の言い分が間違えていてもかまいません。

国宝になったから疑いを持ってはいけないなんてありえないわけで、私は志賀島の金印も真っ赤な偽物だと思っております。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/13 (Thu) 23:48:49

p君さん

>> 上にも書きましたが、一般的な塗料では無いと言えるだけの根拠を持って錆と判断したのでしょう。

>そうでしょうか、このサイトは原田氏の業績を疑っているわけではないサイトですが、
>それでも「これらの鏡は以下のような謎もあり、今後の研究成果が期待されます。」とあります。
https://shisekinavi.com/hirabaruiseki/

>この緑色の着色を取り上げています。

 サイトの紹介有難う御座います。

 仰るとおり「これらの鏡は以下のような謎もあり、今後の研究成果が期待されます。」とありますね。
 中国では出土しない「陶氏作」銘 と 着色方法の不明な緑色 と、有ります。

 双方で取り上げている出土品は国宝ですから、毎度、申し上げておりますが、国宝に認定するに相応しいものと
 然るべき方々が判断されたもであることは間違いありません。

 このサイトでp君さんが仰っている疑問としている事は次の2点と考えます。
 (このサイトの運営者は、公的機関や、学術的機関などでしょうか、個人で有っても、公開内容にある程度の責任を持っていらっしゃるのでしょうか、ざっと見た限り、問合せ対応を限定的であってもするような内容は見出せませんでした)

 1.「陶氏作」銘の鏡が中國では出土していない事です。
  このことの前に三角縁神獣鏡も中國では発見されておりません。
  (三角縁神獣鏡発見されたとの報道があり、分析をしたいと申し入れたところ、拒否されたことは前に述べたとおりです。)
  この陶氏作」銘の鏡だけが見いだせていないと言う特異性が有る訳ではありませんので、特に驚くような内容では無いものと安房守は考えます。

 2.着色方法の不明な緑色
  なぜか「着色方法の不明な緑色」とあります。
  このサイトを作られた方は、着色であると判断をされているようです。
  着色であると判断した根拠を何も示していません。
  客観的な事実によって着色と判断出来たことを示すべきであり、安房守は信用し難いと見ざるを得ません。

  「これらの鏡は以下のような謎もあり、今後の研究成果が期待されます。」とあります。
  緑色に発色している物が現在は判らないと、収蔵元や、分析を行った機関が、判らない事をどこかに示してあって、今後の研究で判るであろうと期待していることを表わしていると安房守は考えます。

  現在は判らない事が示されている情報も、説明されていませんので、単なる個人の見た目による判断である可能性が高いと安房守は考えます。

  せめて、「緑色の発色が見られるが、緑青とは写真からは判断できないので、緑色に発色しているものが何であるか、知りたい」程度が妥当なところだと考えます。。


>だいたい緑青なら、鏡全体が土の中にあったわけですから、
>こんな一部分にだけ付くというのはおかしいです。
>また全然緑色が付いていない鏡のあるのは説明できないです。

 国宝として認定しているのですから、疑問を抱きたくなるような極端な問題があるとは大変考え難いと、毎回、同じ考えしか、安房守は浮かびません。


>あとこの緑色は原田氏が発見したという「八咫鏡」にも部分的に付いてます。

 申し訳ありません。
 安房守には、その知識が全くありませんので、何とも申し上げられません。


>とにかく不自然です。
>おかしい事はおかしいと声を上げるべきです。

 安房守には、疑問点を明確な根拠を持って言い切れるだけの知識はありません。
 従って、おかしいとも、おかしくないとも、言えません。
 

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/13 (Thu) 18:34:03

> ハッキリと緑色が見えるのですから、その色は何であるかを検討したと、安房守には思われます。
> 国宝に認定したのですから、一般的には、緑青か緑青に近いものであると判定したのであろうと、安房守は考えます。
> 上にも書きましたが、一般的な塗料では無いと言えるだけの根拠を持って錆と判断したのでしょう。



そうでしょうか、このサイトは原田氏の業績を疑っているわけではないサイトですが、
それでも「これらの鏡は以下のような謎もあり、今後の研究成果が期待されます。」とあります。
https://shisekinavi.com/hirabaruiseki/

この緑色の着色を取り上げています。

だいたい緑青なら、鏡全体が土の中にあったわけですから、
こんな一部分にだけ付くというのはおかしいです。
また全然緑色が付いていない鏡のあるのは説明できないです。

あとこの緑色は原田氏が発見したという「八咫鏡」にも部分的に付いてます。

とにかく不自然です。
おかしい事はおかしいと声を上げるべきです。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/13 (Thu) 10:34:27

p君さん

>とりあえず緑色の着色の謎を解明してほしいです。

http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru17-165.jpg

 ハッキリと緑色が見えるのですから、その色は何であるかを検討したと、安房守には思われます。
 国宝に認定したのですから、一般的には、緑青か緑青に近いものであると判定したのであろうと、安房守は考えます。


>この緑色が塗料であるのなら、その塗料は何なのか改名していただきたいと思います。

 上にも書きましたが、一般的な塗料では無いと言えるだけの根拠を持って錆と判断したのでしょう。


>もし現代にしかありえない塗料なら、それが付着した鏡が土中から出てきたという時点で捏造になります。

>それにしても1800年間、土中にあったとは思えないほどピカピカですね。

>まぁ原田氏による捏造でしょう。

 安房守は、原田氏がある目的のために意識的に捏造をしたのであれば、原田氏自身の知識と経験を駆使して、錆を作り出したと思います。
 当然、容易には、後世作り出した錆であるとは判断できないレベルのものとしたと考えます。
 原田氏が捏造したのであれば、近代の塗料を用いるほど原田氏が不注意であるとは考え難いと思います。
 

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/13 (Thu) 07:47:27

とりあえず緑色の着色の謎を解明してほしいです。

http://wi12000.starfree.jp/img.m/hirabaru17-165.jpg

この緑色が塗料であるのなら、その塗料は何なのか解明
していただきたいと思います。

もし現代にしかありえない塗料なら、それが付着した鏡が土中から出てきたという時点で捏造になります。

それにしても1800年間、土中にあったとは思えないほどピカピカですね。

まぁ原田氏による捏造でしょう。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/12 (Wed) 23:51:55

p君さん

>だいたい糸島は魏志倭人伝の伊都国の可能性が高いわけで、
>卑弥呼がいた場所とは程遠いことは誰でもわかるのに、

 安房守も、卑弥呼がいた場所とは見ていません。


>原田氏が自分の生まれ故郷の糸島の平原1号墳墓が卑弥呼=オオヒルメの墓であるなどと述べていること自体、まともな研究者でないことを意味してるわけで、

 安房守は、 原田氏は、卑弥呼の母の可能性があるのではなかろうかと、自論を述べているだけの様に捉えました。
 邪馬台國の東遷説なのかも知れません。

 卑弥呼が個人名で有るとの考えではなく、卑弥呼と呼ばれていた偉大な神のような存在を示している言葉と原田氏が考えて その神=オオヒルメと考えていた可能性もあり得ると安房守は見ています。
 いずれにせよ、原田氏のお考えであることと見ています。

>なんでこんな人の発掘を疑いもせずに肯定してきてるのか、それは卑弥呼の墓が九州にあるという人たちにとって、ここが有力な墓であるから無下に否定したくないという気持ちが優先しているのからしょう。

 国宝として認定された方々は、出土物を判定したのであって、邪馬台国や、卑弥呼の墓が九州にあると認定したのではありません。
 出土物自体には、大きな疑義は無かったので認定したものと安房守は見ています。
 平原1号墳墓以外にも、この頃に朝鮮半島や中国大陸との密接な関係が有ると見られる墳墓が糸島半島でかなりの数、見出されていた様に、安房守は記憶しています。

 魏志倭人伝の解釈で、邪馬台国の位置を騒がせるだけの出土物が糸島半島を含めて九州から出ているのも事実です。

 どの人々の考えに、自らの考えが近いか否か、それは、その人の知識、感性によるものです。
 感性の中には、一度信じたものからは、離れたくない気持ちがあるのかも知れません。
 九州説、近畿説など、双方ともに、全ての疑問点に、具体的に立証しきれるだけの情報が不足しているので、相手の意見を否定しきれないのであると、安房守は思います。


>でもそれではだめなのではないかと思います

 原田氏の個人的見解と思われる説を、誰もが認めている訳ではないと安房守は考えます。
 それが、安房守のごく個人的な感覚です。

 だめなのは判っていても、全体として論破できるだけの具体的根拠として誰しもが認めるものを、現在は提示できないのです。
 九州説の方のなかでも、全員が原田説に賛同している訳ではないと思います。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/12 (Wed) 23:01:27

p君さん

>自分は素人だからわかりませんが、金属組成の鉛同位体比からみても陶氏作鏡は国産鏡か舶載鏡かどちらともいえない感じですね。
>だいたい三角縁神獣鏡も国産なのか舶載かで議論があるようですから、これは難しい事なのでしょうね。

 安房守も素人です。
 難しいのでしょうね。
 古墳時代も、銅鏡の原料が足らない為、不出来な銅鏡や、他の銅製品などを再度融解して使用していた可能性があるとかの話をどこかで見たような気がします。

>判明している範囲で良いから全文出していただきたいと思うわけです。」と書きましたが、

>このサイトには出ているようです。
>9枚出ている陶氏作鏡の判別できる部分を読み取ると、

>眞大巧 上有仙人不知老 渴飲王泉飢食棗

>のようです。

 お教え有難うございます。


>ところが27枚出ている尚方作竟や尚方佳竟の銘文も、判別可能な部分から推測すると、

>眞大巧 上有仙人不知老 渴飲王泉飢食棗
>眞大好 上有仙人不知老 渴飲王泉飢食棗

>となりますが、別の工房で作ったのに同じという事はあり得るのでしょうか。

 安房守も詳しくは有りませんが、決まり文句が有ってもおかしくは無いと思います。
 どこの工房でも、指導者や、管理者は、何処かで修業してきていたと思います。
 出身工房や、指導者を真似る事から始めますので、同じ文言、模様となる事は有り得ると考えます。
 元の銅鏡からコピーする場合も有ったでしょう。
 複数の工房に同じ注文して、その注文の指示通りに作った可能性もあるでしょう。


 中国語は判りませんが、感覚的には、眞大巧の意味は、真に大いに巧みである。
 眞大好 の意味は、真に大いに好みである。
 と、思いますので誉め方の違いだけかも知れません。
 或は、当時の中国語の発音で、「巧」と「好」が同じ発音で有ったので、文字を間違えて鋳ってしまったのかも知れません。


>私は素人ですが、疑問は疑問として指摘しておきたいと思います、
>間違っていてもかまいません。

 p君さんが、疑問に思われることは、p君さんの感性ですから、安房守には判りません。
 指摘というと、「大切な点や注意すべきこと、欠点や過失などを具体的に取り上げて指し示すこと」ですから、表現的に違う気がします。
 お尋ねするとか、教えを願うとか、疑問点を挙げておく、などのほうが、相応しい言葉の様な気がします。

平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/12 (Wed) 22:11:43

だいたい糸島は魏志倭人伝の伊都国の可能性が高いわけで、
卑弥呼がいた場所とは程遠いことは誰でもわかるのに、
原田氏が自分の生まれ故郷の糸島の平原1号墳墓が卑弥呼=オオヒルメの墓であるなどと述べていること自体、まともな研究者でないことを意味してるわけで、
なんでこんな人の発掘を疑いもせずに肯定してきてるのか、それは卑弥呼の墓が九州にあるという人たちにとって、ここが有力な墓であるから無下に否定したくないという気持ちが優先しているのからしょう。

でもそれではだめなのではないかと思います。

平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/12 (Wed) 19:39:04

http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/hirabaru_sq.html#top

自分は素人だからわかりませんが、金属組成の鉛同位体比からみても陶氏作鏡は国産鏡か舶載鏡かどちらともいえない感じみたいですね。
だいたい三角縁神獣鏡も国産なのか舶載かで議論があるようですから、これは難しい事なのでしょうね。

ところでまた疑問らしきものを見つけました。
9月23日の投稿で、
「この「陶氏作」の前後にも文字があると思うのですが、なぜか情報が入ってきません。
どうやらその文字の部分は欠けてはいないようですし、
判明している範囲で良いから全文出していただきたいと思うわけです。」と書きましたが、

このサイトには出ているようです。
9枚出ている陶氏作鏡の判別できる部分を読み取ると、

眞大巧 上有仙人不知老 渴飲王泉飢食棗

のようです。
ところが27枚出ている尚方作竟や尚方佳竟の銘文も、判別可能な部分から推測すると、

眞大巧 上有仙人不知老 渴飲王泉飢食棗
眞大好 上有仙人不知老 渴飲王泉飢食棗

となりますが、別の工房で作ったのに同じという事はあり得るのでしょうか。
私は素人ですが、疑問は疑問として指摘しておきたいと思います、
間違っていてもかまいません。

Re: 被葬者がなぜ女性なのか - 滑安房守

2022/10/11 (Tue) 10:26:57

p君さん

>有機物をC14で検査したという話も聞かないです。

 お教え有難うございます。

 そうでしたか、平原遺跡一号墓から出土したものの中で、「有機物をC14で検査したという話も聞かないです。」とのことですね。
 安房守は、平原遺跡なるものの存在を聞いたことがありますが、出土品について良く知りませんでした。
 平原遺跡一号墓から炭素分析出来るような、木製品や、土器などの対象物が出土したかどうかも知りませんでした。


>無機物は、どの地層から出たか、何時代の古墳の石室から発見されたかで時代が決まる様ですから。

 仰るとおりです、出土した地層の時代が判れば、大体の時代は判ると思います。
 ゴッドハンド氏の様に、その地層に、新たに埋め込むと判定は難しくはなりますが・・・・・

 金属類は、分析によって、出土地が大体判るようです。
 その出土地が何時に、開発されていたかが判り、ある程度、時代を特定できるようですが、出土した金属類を再度鋳直せば、区別はつかないかも知れません。


>>ゴッドハンド氏の事件は、2000年11月5日の毎日新聞によるスクープで、露見したことです。
>>一方、「平原遺跡一号墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとして多数の出土品があり、その全てが「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年(平成18年)に国宝に指定された。」とあります。
>>ゴッドハンド氏の反省から、十分に注意深く調べて、国宝に相応しいものとして認定したものと、安房守は考えております。


>腐食が殆どない美しすぎる鏡、不思議な緑色の着色、また鏡が割れていることについて、
>「断じて人為的に割られたものではない」(原田『平原弥生古墳 大日孁貴の墓』、24ページ)
>と述べておられるようですが、
http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/hirabaru_sq.html#top
 サイトのご紹介、有難うございます。

 「断じて人為的に割られたものではない」(原田『平原弥生古墳 大日孁貴の墓』、24ページ)の書籍を安房守は持っておりませんので、何とも申しかねます。
 基本的に、原田氏個人の見解であると、安房守は考えます。


>「平原1号墓の場合にも舶載鏡らしい金属組成領域の方格規矩鏡群はとりわけ激しい破鏡跡が観察される」ということですから、
>原田氏の話と矛盾します。

 なるほど・・・・・原田氏の見解とは矛盾した内容であるとのことですね。
 原田氏は、そのことを、どのように、説明されていたのでしょうか?


>このような数々の疑問がある出土物なら、国宝認定をとりあえず躊躇すべきであったと私は思います。

 原田氏が個人的に出した見解と、国宝認定をしたことは関係があるにしても、限られていると、安房守は考えます。
 平原1号墓の出土物を、原田氏が国宝として認定を決定し得る立場にいたか、大きな影響力があったかについては、先に述べましたが、疑問です。
 国宝認定時には原田氏は故人となっており、原田氏の影響力は限定的であり、小さなもので有ったと安房守は考えます。

 p君さんが、「国宝認定をとりあえず躊躇すべきであったと私は思います。」との気持ちは判ります。
 しかし、国宝に相応しいとして、それなりの方々が、ゴッドハンド氏の捏造事件を知った上で、その反省を踏まえての認定をしたものと考えます。


>あと80cmの太刀が出ているのに、武具が刀一本だけと少ないから被葬者は女性であろうという論理が分かりません。
>全く意味不明な謎の論理です。
>もし刀子(とうす)でも出てたなら、女性の墓か、となると思いますが。
>このあたりにも被葬者を女性=卑弥呼=オオヒルメという事で話を進めたいという願望が見えると思います。

 「副葬品の中に武器がほとんどないこと、さらにネックレスやブレスレットなどの装身具が多いことから、埋葬されているのは女王と考えられています。」と平原歴史公園(平原遺跡)のサイトにありました。
 単に仮説を記しただけで、可能性が高いかも知れない程度で、そのレベルであると思います。
 安房守は知識がありませんが、被葬者は女性と判定されたのでしょうか?
 単に原田氏個人の女性=卑弥呼=オオヒルメとの仮説を裏付けるために、可能性を記したものでしょう。

被葬者がなぜ女性なのか - p君

2022/10/10 (Mon) 08:48:05

滑安房守さん



>発掘物の形だけを主に年代を判断していた時代ならともかく、現在は、科学的に大体の年代なら炭素分析で判ることが多く、構成元素から時代を推定することも可能です。
 大きな間違いは無いと、安房守は考えています。

有機物をC14で検査したという話も聞かないです。無機物は、どの地層から出たか、何時代の古墳の石室から発見されたかで時代が決まる様ですから。


> ゴッドハンド氏の事件は、2000年11月5日の毎日新聞によるスクープで、露見したことです。
 一方、「平原遺跡一号墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとして多数の出土品があり、その全てが「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年(平成18年)に国宝に指定された。」とあります。
 ゴッドハンド氏の反省から、十分に注意深く調べて、国宝に相応しいものとして認定したものと、安房守は考えております。


腐食が殆どない美しすぎる鏡、不思議な緑色の着色、また鏡が割れていることについて、
「断じて人為的に割られたものではない」(原田『平原弥生古墳 大日孁貴の墓』、24ページ)
と述べておられるようですが、
http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/hirabaru_sq.html#top
「平原1号墓の場合にも舶載鏡らしい金属組成領域の方格規矩鏡群はとりわけ激しい破鏡跡が観察される」ということですから、
原田氏の話と矛盾します。
このような数々の疑問がある出土物なら、国宝認定をとりあえず躊躇すべきであったと私は思います。

あと80cmの太刀が出ているのに、武具が刀一本だけと少ないから被葬者は女性であろうという論理が分かりません。
全く意味不明な謎の論理です。
もし刀子(とうす)でも出てたなら、女性の墓か、となると思いますが。
このあたりにも被葬者を女性=卑弥呼=オオヒルメという事で話を進めたいという願望が見えると思います。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/09 (Sun) 22:38:52

p君さん

>銅像が、原田氏の死後に建てられたから云々の話ではなく、

 そうだったのですか・・・・
 「原田氏の場合、捏造する動機は、銅像まで建っていることからも、大変分かりやすく、単なる功名心でしょうし、
鏡を鋳造できる立場にいたことも判明してます。」
 と、p君さんが仰られていたので、安房守は、そのことについての事かと考えてしまいました


>『実在した神話 -発掘された平原弥生古墳-』學生社(1966年)
>後に同社から再版(1998年 ISBN 9784311202162)

>ということは、1965年の平原遺跡の発掘の直後、あるいは発掘の最中に、
>すでにこの本を書いていたという事であり、
>本ってそんなに早く書けるものかと考えたら、

 仰っている事は、「『実在した神話 -発掘された平原弥生古墳-』學生社(1966年)」であることから、{1965年の平原遺跡の発掘の直後、あるいは発掘の最中に、すでにこの本を書いていた」という事が考えられることから、発掘前に何が出て来るか判っていた。
 つまり、発掘前に捏造品を平原遺跡に埋めていたのではとの疑念を強く感じる。
 とのことことでしょうか。、

 そのように感じる事を間違いとは、安房守は申せません。
 しかし、論文を書くことに慣れていれば、短期間に出版にこぎつけるのは不可能とは言い難いと思います。
 安房守の知っている方は、主筋だけを自分で書いて、あとは堪能な方に任せて、出来上がったものをチェックし、自分の名前で出版していました。

>すでに原田氏の脳裏には、発掘直後、ひょっとして発掘前から、
>卑弥呼=オオヒルメであり、自分がその墓の発見者であるとの主張があるわけで、

 周囲の発掘状況などから、どのようなものが発掘される可能性があるか考えておくのは不思議では無いと思います。
 原田氏が「卑弥呼=オオヒルメ」と以前からお考えになっていたかもしれません。

 たとえ話ですが、箸墓からは、何が出て来る可能性が高いか、それが出たら、どんなことを言い得るかを想像することは、その人の感性であると思います。


>それが、本当に納得できる状況の出土品ならばともかく、
>木棺や被葬者や太刀と比べて、摩耗腐食具合があきらかにおかしい鏡があり、
>その鏡に緑色の「着色」痕跡があるのが本当なら、これは大いに疑うべきであり、
>たとえ間違えててもいいから声を上げることは大切であり、

 国宝扱いになっている物の全てに、国宝との判定の根拠に間違いがないとは言えないと、安房守も思います。
 それでも、多くは間違いはないか、間違っていても、間違ってしまった理由があり、全てのものの判定が間違っているとは考え難い気がします。
 そのむかし、発掘物の形だけを主に年代を判断していた時代ならともかく、現在は、科学的に大体の年代なら炭素分析で判ることが多く、構成元素から時代を推定することも可能です。
 大きな間違いは無いと、安房守は考えています。

 中國で発見されたという「卑弥呼時代の銅鏡」の分析をしたいと申し入れたところ、拒否されたと聞きます。
 分析で、銅鏡の構成元素が、当時のものと一致するかどうかが判り、偽造鏡であることが判ってしまうので拒否したものと安房守は考えます。

>旧石器捏造事件をみるに、周りが疑問を持ちつつも声をあげれなかった状況(ハロー効果)に陥り、
>それが捏造発覚を遅らせ、取り返しのつかない失態を生み出しましたので、
>私は素人ですが、またネット上ではありますが、声を上げていきたいと思います。

 ゴッドハンド氏のことを仰っているものと思います。
 疑問を、疑問として提起することは大事な事だと思います。
 何が、どういう理由で疑問なのか、時代推定するにはどのような方法で行ったのか、その結果はどうであったか、周囲の発掘物と時代的齟齬があるかなど、多く有るように思います。
 原田氏は故人であり、国宝と判定出来る根拠などを、原田氏自身が影響力を及ぼせた可能性は非常に低いと考えます。
 
 安房守も素人です。
 素人であるがゆえに、勝手放題を言っていますが、その段階での安房守の知識から、そう言えるとの根拠を持てる範囲に限る様にしているつもりです。

>日本の考古学会は、そんなにヤワなものでは無いとは私も思いますが、
>ヤワ以前にとんでもない捏造事件を引き起こしたのは事実であり、
>繰り返しますが、私は素人ですが、原田氏の業績に対して、捏造ではないかとの声を上げていきたいと思います。

 声を上げるのは、p君さんご自身のお考えですので、安房守は、その事について、何とも言えません。

 ゴッドハンド氏の事件は、2000年11月5日の毎日新聞によるスクープで、露見したことです。
 一方、「平原遺跡一号墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとして多数の出土品があり、その全てが「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年(平成18年)に国宝に指定された。」とあります。

 ゴッドハンド氏の反省から、十分に注意深く調べて、国宝に相応しいものとして認定したものと、安房守は考えております。
 

Re: 平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/08 (Sat) 11:23:37

滑安房守さん

銅像が、原田氏の死後に建てられたから云々の話ではなく、

『実在した神話 -発掘された平原弥生古墳-』學生社(1966年)
後に同社から再版(1998年 ISBN 9784311202162)

ということは、1965年の平原遺跡の発掘の直後、あるいは発掘の最中に、
すでにこの本を書いていたという事であり、
本ってそんなに早く書けるものかと考えたら、
すでに原田氏の脳裏には、発掘直後、ひょっとして発掘前から、
卑弥呼=オオヒルメであり、自分がその墓の発見者であるとの主張があるわけで、
それが、本当に納得できる状況の出土品ならばともかく、
木棺や被葬者や太刀と比べて、摩耗腐食具合があきらかにおかしい鏡があり、
その鏡に緑色の「着色」痕跡があるのが本当なら、これは大いに疑うべきであり、
たとえ間違えててもいいから声を上げることは大切であり、
旧石器捏造事件をみるに、周りが疑問を持ちつつも声をあげれなかった状況(ハロー効果)に陥り、
それが捏造発覚を遅らせ、取り返しのつかない失態を生み出しましたので、
私は素人ですが、またネット上ではありますが、声を上げていきたいと思います。

日本の考古学会は、そんなにヤワなものでは無いとは私も思いますが、
ヤワ以前にとんでもない捏造事件を引き起こしたのは事実であり、
繰り返しますが、私は素人ですが、原田氏の業績に対して、捏造ではないかとの声を上げていきたいと思います。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/07 (Fri) 13:47:26

p君さん

ご説明下され有難うございます。

>原田氏の場合、捏造する動機は、銅像まで建っていることからも、大変分かりやすく、単なる功名心でしょうし、

 まずは、そのお考えから考えて見ようと思います。

wikiによりますと、原田 大六氏は1917年1月1日 - 1985年5月27日とあります。
日本の考古学者。伊都歴史資料館(伊都国歴史博物館の前身)名誉館長。

前原市(現糸島市)が建設した伊都歴史資料館(伊都国歴史博物館の前身)の初代館長への就任が予定されていたが、それを待たずに脳梗塞で逝去。同資料館名誉館長の称号が贈られ、館の前に銅像が建てられた。設置時期:昭和61年(1986)1月11日

【郷土糸島の偉人たち08】原田 大六には次のとおりあります。
1985(同60)年、伊都歴史資料館(伊都国歴史博物館の前身)の建設と原田の初代館長就任が決定するも、就任前の同年5月27日、脳梗塞により68歳で逝去。1987(同62)年、資料館の開館に伴い原田の銅像が建立され、2006(平成18)年には平原弥生古墳の出土品が一括して国宝に指定された。

銅像が建てられたのは、原田 大六氏が亡くなった後の事となりますので、功名心からとの話は考え難いと、安房守は考えます。
銅像を建てるとの話が始まったのは何時の事か判りませんが、ご本人が関与していた可能性は低い様に思えます。


>鏡を鋳造できる立場にいたことも判明してます。

 「平原弥生古墳の出土品が一括して国宝に指定された。」とあることから、鏡の全てが捏造鏡であるとするには、無理がある様に思えます。


>安本美典さんのHPを見ると、旧石器捏造事件のことを取り上げ、畿内説がどんどん時代を古くしている事と、その危険度が同じではないのかという意味合いの事を書かれています。
>反面、安本さんには平原遺跡および原田大六氏への疑義は全くないようです。

 安房守は安本美典さんのHPを見ていませんので、なんとも言い難いのですが、平原遺跡および原田大六氏の節に疑義を持って見たが、疑義有りと言えるだけの根拠を見出せなかった可能性もある気がします。


>安本さんだけではなく、九州土器の専門家でいらっしゃる柳田康雄さんは、その昔、NHKの「歴史ヒストリア」で寺沢薫さんと対談し、平原1号墳墓被葬者を卑弥呼のお母さんなどと、はっきり言っておられました。

 それは、一つの可能性のあるお考えとして述べただけで、論文などで卑弥呼の母であると根拠を持って発表したものではないと安房守は考えます。
 史書上からも卑弥呼の母は誰であるかは判っていませんし、DNA鑑定にしても、卑弥呼のDNA自身を知ることも出来ませんから、具体的根拠のない「お話し」に過ぎないと考えるべきものと、安房守は思います。


>こんなもの正直言って、大変あかん事ではないかと思います。
>はたして日本の考古学会は大丈夫なのか。

 報道機関は、なにか発見される度に、某氏曰く、「卑弥呼の墓、邪馬台国の位置が判明した」ような話がなされますが、読者、視聴者の興味を引く様に、面白可笑しくしているだけが、多いと安房守は見ていますので、額面通りには捉えないようにしています。

 日本の考古学会は、そんなにヤワなものでは無いと安房守は思っています。


「歴史ヒストリア」のその話も、その後、どなたかが取り上げたとの話を見たことも、聞いたこともありません。
つまり、誰もが、その程度の話として見ており、何か新しい知見が有ればと見ている人は少数派で、「オッ」と思っても、検証するまでもない話と判断したものと思われます。
 

>平原の場合は鏡が一括して国宝になっているだけに、これは旧石器捏造事件より重い話になると思います。

 放送は編集された結果であり、全てを放送する訳ではないので、誤解を招き易い内容になるケースがあるのは止むを得ない気が、安房守はしています。

と、現在の安房守は見ております。

平原遺跡への疑義 - p君

2022/10/06 (Thu) 19:30:31

原田氏の場合、捏造する動機は、銅像まで建っていることからも、大変分かりやすく、単なる功名心でしょうし、
鏡を鋳造できる立場にいたことも判明してます。

安本美典さんのHPを見ると、旧石器捏造事件のことを取り上げ、畿内説がどんどん時代を古くしている事と、その危険度が同じではないのかという意味合いの事を書かれています。
反面、安本さんには平原遺跡および原田大六氏への疑義は全くないようです。
安本さんだけではなく、九州土器の専門家でいらっしゃる柳田康雄さんは、その昔、NHKの「歴史ヒストリア」で寺沢薫さんと対談し、平原1号墳墓被葬者を卑弥呼のお母さんなどと、はっきり言っておられました。

こんなもの正直言って、大変あかん事ではないかと思います。
はたして日本の考古学会は大丈夫なのか。
平原の場合は鏡が一括して国宝になっているだけに、これは旧石器捏造事件より重い話になると思います。

Re: 平原遺跡への疑義 - 滑安房守

2022/10/05 (Wed) 11:29:06

P君さん

>この平原遺跡出土物および原田氏の事は、おおよそ知ってはいたけれど、
>正直、詳しくは知りませんでした。

>不思議なのは、原田氏の功績は捏造ではないかという小さな疑問が心に湧いたなら、
>どんどんと茹で卵の殻がむけるように大きな疑問がわいてきて、
>もう今の時点では、私の中で、これは捏造であるという考えしかありません。

>近々、まとめてFacebookに投稿しようとも思います。

>ただ、Facebookの「東アジアの古代文化を考える会」のディスカッションのコーナーに私が投稿すると、
>なんだかお邪魔虫が来たような感じで、座が白けてる感じが否めません。

>私としては、面白いネタを投稿してるつもりですが、あの会の参加者さんの心は打たないようです。

 
 P君さん! それは仕方がありません。
 誰もが、同じ見方をする訳ではありませんし、どこに興味を持つかその人の自由です。
 それと、まだ、Facebookに不慣れな方が多い様に見えますので、過大なレスポンスを期待は出来ない様に思います。
 常連さん、特に運営管理をされている方からの発言が殆どの様な気がしています。

>近々、まとめてFacebookに投稿しようとも思います。

 ここにでも、まとめないで、ぽつり、ぽつりと投稿するのも面白いかも知れません。

平原遺跡への疑義 - P君

2022/10/05 (Wed) 09:49:09

この平原遺跡出土物および原田氏の事は、おおよそ知ってはいたけれど、
正直、詳しくは知りませんでした。

不思議なのは、原田氏の功績は捏造ではないかという小さな疑問が心に湧いたなら、
どんどんと茹で卵の殻がむけるように大きな疑問がわいてきて、
もう今の時点では、私の中で、これは捏造であるという考えしかありません。

近々、まとめてFacebookに投稿しようとも思います。

ただ、Facebookの「東アジアの古代文化を考える会」のディスカッションのコーナーに私が投稿すると、
なんだかお邪魔虫が来たような感じで、座が白けてる感じが否めません。

私としては、面白いネタを投稿してるつもりですが、あの会の参加者さんの心は打たないようです。

Re: 書込み成功 - 滑安房守

2022/09/23 (Fri) 14:09:49

P君さん

>滑安房守さん

>この「陶氏作」の前後にも文字があると思うのですが、なぜか情報が入ってきません。

>どうやらその文字の部分は欠けてはいないようですし、
>判明している範囲で良いから全文出していただきたいと思うわけです。

 それは、仰るとおりですね。
 写真でも良いので、出して欲しいと思います。


>陶氏の工房に作らせたのなら、必ず作らせた人物の名前があると思いますから。

 お教え有難う御座います。
 知識が無く、疎いもので、知りませんでした。
 なるほど、注文主の名が、鏡のどこかに有るケースが多いのですね。
 それによって、「陶氏作」の意味するところが明らかになる可能性が高くなるとのお考えが判りました。

平原遺跡への疑義 - P君

2022/09/23 (Fri) 13:30:44

滑安房守さん

この「陶氏作」の前後にも文字があると思うのですが、なぜか情報が入ってきません。

どうやらその文字の部分は欠けてはいないようですし、
判明している範囲で良いから全文出していただきたいと思うわけです。

陶氏の工房に作らせたのなら、必ず作らせた人物の名前があると思いますから。

Re: 書込み成功 - 滑安房守

2022/09/20 (Tue) 10:15:40

p君さん

思い付きです。
検証をしていません。

>平原遺跡への疑義 - p君
>2022/09/14 (Wed) 21:42:54
>「陶氏作」

>中国には「陶」という姓があるようですね。
>しかしです。
>陶氏という言い方は三人称ですね。
>埼玉稲荷山古墳鉄刀は「此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。」とワワケの臣が職人に作らせたことが書かれています。
>これなら分かります。
>しかし「陶氏作」って何なんでしょう。
>この鏡を作った人を陶氏なんて三人称で呼んでるこの主人公=一人称の人物は誰なのでしょうか。

>全く意味不明です。

この場合、必ずしも、三人称とは言い切れないような気もします。
「陶」と言う一族、つまり「陶氏」が作った鏡。
あるいは、「陶」を代表者?としている工房が作った鏡であるとの解釈は、出来ないでしょうか。
個人名を刻めるほどの名人では無かったが、陶工房として出せるレベルにはなっていたので「陶氏」と刻んだ事もあり得る気がします。

他に類例を見いだせないので、根拠薄弱ですが、あり得そうな気もします。
単なる阿呆の思い付きです。

橘さん - P君

2022/09/19 (Mon) 09:12:34

>つまり姓は陶、名は氏では?

名前に「氏」なんてあるのでしょうか。

徹底的に探せば有るのかもしれないですが、まず「ない」のではないでしょうか。

日本人の名前に例えれば、山田という姓の人が家という名を付けて、山田家みたいな。
訳が分からないですね。


Re「陶氏作」 - 橘

2022/09/19 (Mon) 04:23:25

作った人は当人ですよね。自分に「氏」などつけないのでは?
つまり姓は陶、名は氏では?

平原遺跡への疑義 - p君

2022/09/14 (Wed) 21:42:54

「陶氏作」

中国には「陶」という姓があるようですね。
しかしです。
陶氏という言い方は三人称ですね。
普通は、例えば鏡を作った人間が「陶 金平作」とか自分の名前を書きますね。
埼玉稲荷山古墳鉄刀は「此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。」とワワケの臣が職人に作らせたことが書かれています。
これなら分かります。
しかし「陶氏作」って何なんでしょう。
この鏡を作った人を陶氏なんて三人称で呼んでるこの主人公=一人称の人物は誰なのでしょうか。

全く意味不明です。

平原遺跡への疑義 - p君

2022/09/10 (Sat) 18:47:40

「陶氏作」銘の鏡のアップです。

これが1800年間、土中にあったというわけですか。

私には全然そう見えません。

割れ目が全然摩耗していません。
模様も美しすぎます。

これら平原出土鏡に疑いを持っている人物なんていないのかもしれませんが、私は、たとえこの世に一人きりであろうがかまいません、これらの鏡に疑いを持っていますし、これからも持っていきます。

これは明らかにおかしいです。

平原遺跡への疑義 - p君

2022/09/08 (Thu) 18:57:54

wikipedia
原田大六

「中学卒業後に上京して津上製作所に就職。計測器の研摩工に就いたが、召集され、中国大陸各地を転戦。」


研磨工をされていたという事ですね。


「当時、邪馬台国近畿説に関連して小林行雄が唱えた「銅矛銅剣文化論」を、
その他の青銅器や、鉄器が「故意に」除外されており、
古墳時代に副葬が盛んとなるはずの銅鏡や鉄剣が意図的に除外された「隠蔽の誤謬」として批判し、
弥生後半の墳丘墓と古墳の間にみられる共通性から、古墳の起源を追うことを提唱。
さらに、小林が主張していた銅鏡の手づれ(摩滅)による「伝世鏡論」も、
研磨工としての経験から否定し、鋳造時の不完全さからなる「湯冷え」(鋳型に金属が完全に回る前に固まってしまう事)であると敢然と主張した。
1950年に初の著作となる「日本国家の起源 -古墳文化形成過程の研究-」としてまとめた。」

>鋳造時の不完全さからなる「湯冷え」(鋳型に金属が完全に回る前に固まってしまう事)であると敢然と主張した。


つまり原田氏は鏡の「鋳造」の経験があるという事ですね?

平原遺跡への疑義 - P君

2022/09/07 (Wed) 13:45:30

【画像】は、南小路遺跡出土の鏡だが、これくらい緑青が付き腐食していれば、なるほど弥生時代の遺跡から出たのだなと納得もできる。

平原1号墳の割竹型木棺は腐食し、
そして中にあった被葬者の人骨もとっくに土に還っている。
太刀も当然ながら腐食している。
しかしながらこんな状況で、長年土中にあり、最も腐食しやすいであろう鏡が,
平原1号ではなぜ腐食していないのであろうか。

http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/hirabaru_sq.html#top

不自然である。
前述の不思議な緑色の塗料が付いた鏡もある。
また平原1号墳墓出土の割れた大鏡を復元しているのだが、
鏡が割れてたのなら、その小さな断片は割れた断面から腐食し、
こんなに綺麗に復元などできないと思われるが、
なんだか「作って、割って、埋めて、掘り出して、またひっつけた」かのように、断面が奇麗に一致している。

平原1号墳墓の鏡はことごとく奇麗すぎる。

私は原田氏による捏造ではないかと疑っている。

Re: ここを見るには、 - 滑安房守

2022/09/05 (Mon) 07:27:18

橘様

お教え有難うございます。

>私のHPは、ハッカー対策のため海外からのアクセスは禁止してます。
>ここを見るには、

https://pkun.bbs.fc2.com/

>へ直接アクセスしてください。
>私のは、
https://hituji184.bbs.fc2.com/

>でアクセス出来ると思います

 たぶん、アクセス出来ていると思います。
 助かりました。
 有難うございます。

平原遺跡への疑義 - P君

2022/09/03 (Sat) 22:02:01

以前の画像でもお分かりのように、平原1号墳墓では太刀が木棺をまたぐように置かれる変な展示のされ方をしています。

というか出土時点での写真はないのでしょうか。

普通に考えて、この太刀は木棺内の被葬者の傍に置かれてたと思われます。
木棺と並行ですね。
でもそれなら木棺の太刀を見て、被葬者が「武人」である事を連想してしまいます。

被葬者が卑弥呼=オオヒルメであることを証明したい原田氏にとっては、この木棺内の太刀は邪魔です。

だから出土時点の写真を展示していないのではないかと思っています。

平原墳墓から木棺と太刀が出たことは間違いないと思われます。
太刀の腐食の仕方は捏造しようがないからです。

しかし、それにプラスアルファして鏡や玉類が捏造されたのではないかと私は思っています。

本物の太刀に鏡と玉を付け加え、
「三種の神器である!」と捏造した、というわけです。

Re: 書込み成功 - 橘

2022/09/01 (Thu) 00:26:10

カウンター
2022年8月1日 P君さん  549 橘  950
9月1日      2841   1511

Re: 書込み成功 - 橘

2022/08/30 (Tue) 22:34:38

私のHPは、ハッカー対策のため海外からのアクセスは禁止してます。
ここを見るには、

https://pkun.bbs.fc2.com/

へ直接アクセスしてください。
私のは、
https://hituji184.bbs.fc2.com/

でアクセス出来ると思います。

Re: 書込み成功 - 滑安房守

2022/08/30 (Tue) 09:51:32

橘様
海外からのアクセスを禁止されていますか?
「あんたは、アクセスを許されていないよ」とのメッセージがでて来ます。
今は、VPNを使って、見掛け上、国内からのアクセスにしております。
まあ、そうすれば、済むのですけど、面倒ですので・・・・

平原遺跡への疑義 - p君

2022/08/29 (Mon) 20:26:38

・着色方法が不明な緑色の付いた鏡


着色??
「緑青」に見せようとしたのではないか?

平原遺跡への疑義 - p君

2022/08/29 (Mon) 20:16:06

中国では出土しない「陶氏作」銘


なんですか、これ。

平原遺跡への疑義 - p君

2022/08/29 (Mon) 20:02:16

で、剣はこんな感じで出土という事でしょうか?

奇妙な展示です。

Re: 書込み成功 - p君

2022/08/29 (Mon) 19:11:18

Wikipedia

平原遺跡

1号墓は方形周溝墓で、割竹形木棺の埋納が検出されている。

その1号墓の副葬品の中には日本製と中国製の破砕した銅鏡片が多数あり、これらの破片は39面分に復元された。

1990年の重要文化財指定時の調査の結果、従来4面に復元されていた直径46.5センチメートルの大型内行花文鏡の破片が実は5面分の破片の可能性があると指摘された。(前原市調査報告書)。この大型内行花文鏡のうち1面が九州国立博物館、4面が伊都国歴史博物館に展示されている。銅鏡の員数は39面分とされていたが、上述の調査結果をふまえ、2006年(平成18年)の国宝指定時の官報告示では、銅鏡の員数は40面分となっている[1]。この数は1つの墳墓から出土した銅鏡の枚数としては日本最多である(2009年現在)。

この大型内行花文鏡の直径46.5センチメートルの外周は、鏡の円周の単位で八咫(やあた)あることから、八咫鏡と同じ大きさになる。

この副葬された多数の銅鏡片は「人為的に破砕されたモノではない」と発掘責任者の原田大六は報告している[2]。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●この大型内行花文鏡の直径46.5センチメートルの外周は、鏡の円周の単位で八咫(やあた)あることから、八咫鏡と同じ大きさになる。


大きさが「いかにも」で、ちょっとわざとらしく不自然な感じがします。

Re: 書込み成功 - p君

2022/08/29 (Mon) 19:05:36

鏡ってこんな形で出土するものでしょうか。

普通、被葬者の(この場合は)割竹型木棺の中、あるいはごく近くなのではないでしょうか。

私は専門家ではないですが、何か不自然な感じがします。

Re: 書込み成功 - p君

2022/08/29 (Mon) 18:55:01

ここで最近気になること、古代史よもやま話みたいな感じで書き込みたいと思います。

今自分が気になってる事、それは原田大六氏の事です。

ケチをつけるようで何なのですが、あの平原遺跡での発掘、本当なのかな?と最近思い始めてます。


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